青天を衝けのロケ地は安中市のどこにあるのでしょう?
血洗島村や桑畑は、群馬県の松井田町が撮影場所だと思われます。
桑畑や藍畑が広がる血洗島村のセットは、東京ドーム5個分です。
広さが東京ドームが5つ入る松井田町のセットは、群馬県、そして安中市のどこか?を解説します。
- 青天を衝けの撮影場所ロケ地はどこか
- 青天を衝けの撮影場所ロケ地の情報
- 青天を衝けの撮影場所ロケ地への行き方
青天を衝けロケ地安中市のどこ?血洗島村や桑畑は群馬の松井田町が撮影場所?
#大河ドラマ #ロケ地 #青天を衝け 今日の地元紙に出てました(笑)ニュースでも紹介された様です😄この前もやってましたよ。夜間もロケしてた様子。このシーンだけ見たいかな(笑)私は関係無いけど🤣 pic.twitter.com/2BYZvcVNjm— えみ (@mitaro0227) December 22, 2020
青天を衝けのロケ地は、安中市のどこなのでしょうか?
血洗島村、そして桑畑は、群馬県の松井田町が撮影場所となりました。
青天を衝けの序盤では、その桑畑が広がる血洗島村で奮闘する栄一が、描かれます。
この風景が、群馬県安中市の松井田町にNHKによって作られた巨大なオープンセットだというのです。
ぜひ見てみたいとファンなら思いますよね。
では、どこにロケ地撮影場所である松井田町が、あるのかを見て行きましょう。
青天を衝けロケ地血洗島村:栄一の地元
青天を衝けのロケ地である血洗島村が、栄一の地元です。
1840年(年号では天保11年)2月13日、武蔵国(現在の埼玉県、東京都、神奈川県の一部)の榛沢(はんざわ)郡血洗島村(現在は埼玉県深谷市の血洗島)にある藍玉農家の長男としてこの世に生を受けた栄一。
江戸時代には、中山道の宿場町として栄え、幕府直轄の天領だった深谷。
その深谷宿から北へ約1里半(6km)のところにあったのが、血洗島村で栄一の地元です。
中山道に加え、近くには利根川もあり、交通の要衝地帯に接していたため、物資や情報が行き交っていて、栄一にも影響をもたらしました。
また産業としては、養蚕と藍玉の生産が盛んでした。
これは、利根川の氾濫が多い土地柄で稲作に向かなかったからです。
栄一の実家も父を中心に養蚕や藍玉を作っており、裕福な家庭でした。
青天を衝けのロケ地については、公式サイトの撮影メイキング記事にも少し載っています。
青天を衝けロケ地は東京ドーム5個分!?
青天を衝けのロケ地は、なんと東京ドーム5個分の面積もある大きなセットです。
これには驚きですね。
既にお伝えしたように、血洗島村のセットが作られた場所は、現在の血洗島(埼玉県深谷市)ではなく、群馬県の安中市です。
安中市と渋沢栄一のも深いつながりについては、上毛新聞の記事にもありますね。
さらに安中市のどこにあるのか調査しました。
青天を衝けのロケ地に関するキーワードを、いくつか入れてTwitterでエゴサーチしてみると、地元らしき人のツイートにあったのは「松井田町」と言う記述。
そこで、安中市の松井田町松井田という場所について調べてみました。
>>Wikipediaの松井田町松井田に関する記事を見てみる。
安中市松井田町松井田 | |
---|---|
緯度 | 北緯36度18分47秒 |
経度 | 東経138度48分7秒 |
郵便番号 | 379-0222 |
市外局番 | 027 |
面積 | 1.54㎢ |
人口 | 1,198人 |
この松井田町にあるオープンセットが、東京ドーム5個分もあるのですね。
青天を衝けロケ地安中市のどこ?血洗島村の情報
【 #青天を衝け 血洗島パート完結👏🏻】
— 株式会社アウテック (@outech_limo) May 2, 2021
物語が大きく動き出しますね❗️
生まれ育った埼玉県深谷の「中の家」
そこから旅立ち日本の男になります✨
建物の多くは未だ残されており、
横浜焼き討ちを計画した尾高家も
ご覧になることができます🏡
千代の生家でもありますね!https://t.co/h6EDo025ss pic.twitter.com/H1k5cDOFRi
青天を衝けのロケ地が安中市のどこ?に続いては、血洗島村の情報です。
以下の2点についてとなります。
- 血洗島という名前に関するいくつかの由来
- その由来となった伝説
安中市に再現された血洗島村のロケ地が、どこにあるのか、青天を衝けの情報と併せてお伝えします。
青天を衝けロケ地安中市:血洗島の由来
青天を衝けロケ地の安中市にある血洗島。
その由来について調査しました。
以下の3つの説が有力です。
まず1つ目は、赤城山の霊が、他の山の霊と争った時に傷ついた片腕の血を洗った。
これはまさにそのもの!
渋沢栄一デジタルミュージアムの記事には「片腕をひしがれ」などとあります。
「ひしがれる」とは、押しつぶされるという意味らしく、恐ろしげな状況ですね。
2つ目は、アイヌ語で「岸」や「末端」を表す「ケッセン」の当て字で「血洗」となった。
なぜ岸や末端がこの地と関係あるのかを調べましたが、わかりませんでした。
3つ目は、平安時代に活躍した武将の家臣が、戦争で斬られた腕の血を洗った。
1つ目の山の霊と同様、傷口の血を洗ったという説となります。
この他では、利根川の氾濫により「地が荒れた」事から「チアラジマ」と呼ばれたという説もあるようです。
血洗島という名のとおり、いろいろと逸話の物騒な物が、多いですね。
青天を衝けのロケ地となった安中市の住民も、こんな物騒な由来だとは知らないかも?
そこで、3つ目の由来となった伝説について、この後、詳しくお伝えします。
青天を衝けロケ地安中市:血洗島の伝説
青天を衝けのロケ地である安中市にある血洗島。
その伝説に関係する武将は、源義家です。
八幡太郎義家として有名ですね。
1083年に奥州(今の東北地方)で起きた後三年の役に出陣した義家。
彼の家臣が、その戦いで敵に腕を斬り落とされました。
彼は、その腕を惜しんで故郷に持って帰り、血を洗い流してお墓を作って埋葬したと言われています。
それで血洗島です。
その家臣が誰なのかは、特定が出来ていません。
ちなみに現在の血洗島の近くに、手計(てばか)という地名がありますので、この伝説と関係あるかもしれませんね。
安中市にある青天を衝けロケ地のセットを見たら、血洗島村の名前の由来にまつわる、この伝説に思いを馳せてみてください。
青天を衝けロケ地安中市のどこ?血洗島村や桑畑の行き方
青天を衝けのロケ地である安中市のどこにあるのか?
血洗島村や、そこの桑畑の行き方を調査してみました。
詳細な場所までは特定出来ていないため、東京駅から安中市役所松井田支所への電車での行き方となります。
東京駅からは、北陸新幹線・上越新幹線で『高崎駅』まで行き、信越本線に乗り換え『西松井田駅』へ。
新潟駅からは、上越新幹線で『高崎駅』まで行き、信越本線に乗り換え『西松井田駅』へ。
長野駅からは、北陸新幹線・長野新幹線で『高崎駅』へ行き、信越本線で『西松井田駅』へ。
安中市役所のホームページによると、西松井田駅から松井田支所までは、徒歩で5分との事です。
ロケ地を探すヒントとして、青天を衝けの公式サイトの撮影メイキング記事中に「元々あったひこばえの木(後略)」とあります。
こちらは、セットではなく地元にあった『なら』の木のようです。
それを手掛かりに、血洗島村や桑畑のセットはどこかを探してみてください。
青天を衝けロケ地安中市のどこ?血洗島村や桑畑は群馬の松井田町が撮影場所まとめ
青天を衝けのロケ地は、安中市のどこか?
血洗島村や、そこにある桑畑は、群馬県の松井田町が撮影場所として使用されました。
まとめると以下の4点。
- ロケ地の撮影場所は、群馬県安中市松井田町
- オープンセットの面積は、東京ドーム5個分
- 名前の由来は、山の霊、アイヌ語、武士
- 由来にまつわる伝説の武士の主は、源義家
青天を衝けの主要な舞台である血洗島村。
そして、血洗島村の大きな桑畑が、どこにあるのか。
以上、まとめでした。